Q1:御庭番は本当に忍者の生き残りだったのですか?
A1:いいえ、違います。御庭番は徳川吉宗が紀州藩主時代から召し抱えていた側近武士(薬込役など)がルーツです。先祖に伊賀出身者が一部混ざっていた可能性はありますが、職制上も身分上も、城門警備を担当していた当時の伊賀組・甲賀組同心とは完全に分離された別の組織でした。
Q2:御庭番はどのような変装をして諸国を巡っていたのですか?
A2:怪しまれずに全国を移動できる職業に変装していました。代表的なのは、富山の薬売りのような行商人、諸国を行脚する山伏・修験者、俳諧師、あるいは神社仏閣を巡礼する旅人などです。各地の方言や風習に精通するため、平時から徹底した訓練を受けていました。
Q3:御庭番の子孫は現在どうなっていますか?
A3:明治維新に伴う幕府崩壊後、徳川宗家に同行して静岡に移住した者や、新政府に出仕して官僚・警察組織で活躍した者など様々です。現代においても、御庭番十七家の家系を引く子孫の方々が歴史研究への史料提供や親族会を通じて、先祖の残した貴重な記録を後世に伝えています。