1945年、東京都に生まれた永田洋子の生い立ちは、一見すると凶悪事件の首謀者とは結びつかない平凡な家庭環境でした。幼少期から内向的で生真面目な性格だった彼女は、都立高校を経て共立薬科大学(現・慶應義塾大学薬学部)に進学します。薬剤師を目指していた理系女子学生が、当時の熱を帯びた学生運動の波に呑み込まれたことが人生の大きな転換点となりました。
大学在学中に日本共産党(左派)神奈川県委員会(通称・京浜安保共闘/革命左派)へ参加した永田は、持ち前の潔癖さと行動力で瞬く間に頭角を現します。銃奪取闘争などを経て組織の指導的立場に上り詰め、やがて森恒夫率いる「赤軍派」との合流を決断。1971年、歴史に悪名を残す「連合赤軍」の結成へと至り、永田は副委員長(実質的な最高指導者の一角)として君臨することになりました。