当時の報道や手記、国会記録を精査すると、民主党政権は単なる「失敗」の一言では片付けられない先駆的な成果と、取り返しのつかない失政の双面を持っています。
【功績】現在の福祉・教育政策の礎となった先駆的施策
当時激しいバッシングを受けた政策の多くが、実は令和の現在において定着しています。 代表的なものが「子ども手当」です。所得制限の有無や名称変更(児童手当への統合)はあったものの、「子育てを社会全体で支える」という思想は自公政権にも引き継がれ、2020年代の少子化対策の基盤となりました。また、「高校授業料無償化」や「個別所得補償制度」、さらには「公文書管理法」の整備など、情報公開と再分配の枠組みにおいては先駆的な功績を残しました。
【失政1】事業仕分けの功罪とパフォーマンス偏重
公開の場で不要な予算を削る「事業仕分け」は、当初は国民の熱狂的な支持を集め、行政の無駄遣いへの関心を高めました。しかし、「2位じゃダメなんでしょうか」に代表される科学技術予算の削減発言などが現場の反発を招き、長期的投資を切り捨てたという強い批判を残すことになりました。
【失政2】東日本大震災と福島原発事故への対応
2011年3月11日の東日本大震災発生時、菅直人首相をはじめとする官邸は不眠不休で対応にあたりましたが、官邸による現場への直接介入が東京電力や専門機関との指揮系統の混乱を生みました。現地視察のタイミングやSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報開示遅れなど、危機管理におけるコミュニケーション不全が痛烈な批判を浴びました。
【失政3】三党合意と民主党の事実上の解体
野田佳彦首相は「財政再建なくして日本の未来なし」との信念から、自民党・公明党との間で「社会保障と税の一体改革に関する三党合意」を締結し、消費税率を段階的に10%へ引き上げる法案を可決させました。しかし、これは「4年間は消費税を上げない」としたマニフェストと真っ向から矛盾。小沢一郎氏ら50名以上の議員が離党し、党は分裂。その後の衆院解散で民主党はわずか57議席へと壊滅的な大敗を喫しました。