山本勘助をめぐっては、ドラマや創作物の影響によるいくつかの根強い誤解が存在します。第一の誤解は、「山本勘助と由布姫は実際に恋愛関係にあったのか」という点です。史実において由布姫(諏訪御料人)は実在し、武田勝頼を生んだ側室ですが、勘助との個人的な思慕や交流を示す当時の確実な史料は存在しません。この切ないロマンス構造は、小説家・井上靖が巧みに紡ぎ出した珠玉の文学的創作であり、ドラマがその心理描写を極限まで昇華させた成果です。
第二の盲点は、戦国時代における「軍師」という職掌のリアルです。現代人が抱きがちな「机の上で完璧な作戦図を描く参謀」というイメージは、三国志演義の諸葛孔明や江戸時代の軍学者が定着させた虚像に近いものです。実際の戦国武田家における軍師的な役割とは、主君の側近として他国との使者交渉を務め、築城術や陣配置の知識を提供し、日和見や吉凶を占う軍配者(ぐんばいしゃ)としての職能を含む複合的な参謀役でした。
「山本菅助」が残した文書からも、彼が武田家の使者として各地を奔走し、現場の城郭普請や合戦の実務を差配していたことが窺えます。決して安全な本陣で指図していたのではなく、常に最前線で命を張っていた現場の指揮官であったことこそが、歴史的事実に基づく勘助の真の姿なのです。