大坂夏の陣で真田幸村が戦死した際、徳川幕府による豊臣方残党への処遇は苛烈を極めました。長男の幸昌(大助)は主君・豊臣秀頼とともに大坂城で自刃し、表向き幸村の男子の血筋は絶えたと幕府の公式記録には記されました。ところが、幸村の次男である真田大八(のちの守信)は、敵方であった伊達政宗の重臣・片倉小十郎重長の手によって極秘裏に救出され、奥州白石(現在の宮城県白石市)の地へと落ち延びていたのです。
この大八を祖とする家系こそが、歴史愛好家の間で知られる「仙台真田氏」です。仙台藩の庇護下に入った大八は、幕府の追求を避けるため「片倉久米之介」と偽名を名乗り、片倉家の知行地である刈田郡蔵王町矢附や白石周辺で密かに養育されました。大八の子・辰信の代に至り、徳川幕府の詮索が完全に緩んだ寛文年間(17世紀後半)、ようやく伊達家から許しを得て本来の「真田」姓へ復姓を果たします。こうして仙台真田氏は、仙台藩の重臣格(二百石〜四百五十石)の家柄として幕末まで誇り高く武家社会を生き抜きました。
この仙台真田氏の直系第13代当主を務めるのが真田徹氏です。真田幸村の直系子孫の職業について「現代も特別な家業を継いでいるのか」と疑問を持つ人が少なくありませんが、徹氏はかつて日本電気(NEC)などの大手エレクトロニクス企業に長年勤務していた元ビジネスパーソンです。定年退職後は、長野県上田市や和歌山県九度山町、宮城県蔵王町や白石市といった真田家ゆかりの自治体との親善交流や、歴史講演会、テレビ特番への出演などを通じて、先祖の武勇と平和への教訓を精力的に発信しています。
2026年最新の情報においても、真田徹氏は各地の歴史イベントやシンポジウムに精力的に参加し、先祖から代々手荒に扱うことなく受け継いできた甲冑や古文書、系図の保存・公開に尽力しています。かつて特番の密着インタビューで同氏が語った「幸村公の血を引いているという看板に甘えるのではなく、激動の時代を生き延びた祖先の名を汚さぬよう誠実に生きることが私自身の使命」という言葉は、名将の血脈を背負う当主の揺るぎない覚悟を物語っています。