Q1:大塩平八郎はなぜ町奉行所を辞職したのですか?
A1:大塩は非常に正義感が強く、奉行所内の汚職や癒着を次々と暴いたため、同僚や上層部から煙たがられていました。尊敬していた上司(町奉行・高井実楠)の転任を機に、自身の信念を貫くため40歳前後で潔く職を辞し、学問の道へ進みました。
Q2:大塩平八郎の乱で焼け出された大坂の被害はどれくらいでしたか?
A2:大塩側の放火や幕府側の消火活動の遅れにより、大坂市街の約5分の1にあたる3,300戸以上が焼失しました。皮肉にも、救おうとした一般庶民に甚大な被害を出す結果となってしまいました。
Q3:大塩平八郎の遺体はどうやって見つかったのですか?
A3:潜伏先を包囲された大塩は火薬に点火して自爆したため、遺体は黒焦げでした。幕府は遺体を塩漬けにして保存し、後に磔(はりつけ)の刑に処すという見せしめを行いました。