なぜ口から仏が?空也上人の知られざる生涯と皇族説の真相を徹底解剖

なぜ口から仏が?空也上人の知られざる生涯と皇族説の真相を徹底解剖

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天慶の乱(平将門・藤原純友の乱)に続いて、天禄年間(970年前後)の京都は深刻な疫病の蔓延に見舞われました。鴨川の河原には無数の死体が打ち捨てられ、平安京は死の恐怖と怨霊の影に怯えていました。

この未曾有の危機に際し、空也上人は自ら十一面観音菩薩像を彫り上げ、その巨像を荷車に乗せて洛中の通りを巡行しました。そして、歓喜の手拍子と鉦の音に合わせて自らステップを踏み、民衆とともに歓喜に満ちた声を上げて念仏を唱えました。これが後世に全国へと広まる「踊り念仏」の直接的起源です。

恐怖と絶望で硬直していた民衆の心は、リズムに乗せて身体を動かし、声を揃えて「南無阿弥陀仏」を連呼することで解き放たれました。身体的解放と宗教的救済を結合させたこのアプローチは、集団パニックに陥っていた京都の人々に生きる希望を取り戻させました。

そして天暦5年(951年)、空也上人は疫病退散を祈願して鴨川の東岸、葬送の地であった鳥辺野(とりべの)の入り口に西光寺(さいこうじ)を建立しました。これこそが、現在の六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)の前身です。空也上人は天禄3年(972年)9月11日、この自ら開いた寺において70歳で示寂(死去)しました。

山田 真由
著者

山田 真由

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