だが、時代が進むにつれて理念は国家の思惑によって換骨奪胎されていく。日清・日露戦争を経て、1899年(明治32年)に文部省が「高等女学校令」を公布すると、教育の公式目的として掲げられた方針は、当初の啓蒙的性格から「国家に忠誠を誓う男子を育てる従順な母」の量産へと変質した。女性から社会進出の可能性を奪い、私的領域に閉じ込めるための便利なイデオロギーへと塗り替えられたのだ。
この歴史的な歪みこそが、戦後の長い停滞を生んだ原因だ。しかし現在、明治期の教育政策から最新の再評価トレンドに至る過程を丹念に検証することで、固定観念を覆す知られざる歴史的起源が明るみに出ている。ジェンダー社会学の最新知見では、明治の女性たちがこの枠組みを逆手に取り、学問や社会活動への切符として活用していた事実が指摘されている。令和の家族像が「支え合い」と「自律」を模索する今、家庭内労働の重要性を可視化しようとした初期の思想は、性別を問わない真のパートナーシップを再構築するためのヒントとして読み直されている。