この表現が日本全国のお茶の間や永田町の共通語として決定的に刻み込まれた契機は、1998年(平成10年)7月に実施された自民党総裁選にあります。当時の政局は、第18回参議院議員通常選挙において自民党が歴史的大敗を喫し、橋本龍太郎首相が退陣を表明した直後の極度の緊張状態にありました。
後継総裁の座を巡り、小渕恵三、梶山静六、小泉純一郎の3氏が激突。当時、党内最大勢力であった平成研究会(小渕派・旧竹下派)を取り仕切っていたのが、「永田町の影の権力者」と恐れられた野中広務幹事長代理(のちに小渕内閣で内閣官房長官)でした。野中氏は派閥会長である小渕恵三氏の擁立を主導しましたが、派閥の大ベテランである梶山静六氏が派の方針に反して出馬を強行。佐藤孝行元総務庁長官らベテラン勢が梶山陣営へ雪崩を打つなど、激しい党内分裂劇が勃発しました。
緊迫した多数派工作が水面下で繰り広げられる中、相手陣営からのポスト提示や懐柔工作になびいて小渕支持から寝返った議員たちに対し、野中広務氏はぶら下がり取材のカメラの前で、怒りを露わにしながら吐き捨てるように言い放ちました。
「あいつらは、毒饅頭を食わされたんや」
この発言は、テレビのニュース番組や大新聞の政治面で連日トップ級の扱いを受けました。小渕内閣発足後に寝返り組が要職から徹底的に干され、政治的影響力を失っていく姿が報じられるにつれ、「一度でも毒饅頭を口にすれば、政治生命そのものが終わる」という実例として世間に強烈な印象を植え付けたのです。これ以降、毒饅頭の由来は政治の世界における禁断の果実を象徴する代名詞として不動の地位を確立しました。