ドラマの吉宗は民の涙に寄り添い、理不尽に虐げられた庶民のために怒りの刃を振るう情熱家として描かれます。しかし、日本史の教科書に刻まれた「享保の改革」を主導した吉宗の政策は、むしろ庶民や農民に対して極めて過酷な痛みを強いるものでした。
幕府財政の破綻を救うため、吉宗は「定免法(じょうめんほう)」を導入しました。これは豊作・凶作に関わらず一定の年貢を徴収する冷厳な増税システムであり、検見法に比べて幕府の税収は安定したものの、凶作の年に見舞われた農民の生活は困窮を極めました。米価の安定に異常な執念を燃やし、米相場の操作に奔走したことから後世に「米将軍」とあだ名されたほどです。
一方で、吉宗は単なる守銭奴的な増税者ではありませんでした。身分を問わず庶民の直訴を受け止める「目安箱」を設置し、その投書をもとに無料の医療施設「小石川養生所」を建設させました。さらに、実学を重んじて漢訳洋書の輸入制限を大幅に緩和し、青木昆陽にサツマイモの栽培を命じて後の飢饉対策の礎を築くなど、現代でいうオープンイノベーションと社会保障の原型を設計した名指導者でもあったのです。