事務次官の凄さを語る上で欠かせない要素が、就任に至るまでの過酷極まるトーナメントです。出発点は、最難関とされる国家公務員採用試験を突破した国家公務員総合職(旧国家公務員I種)としての入省です。財務省、経済産業省、警察庁、外務省など、主要省庁に毎年配属されるキャリア官僚は、1省庁あたりわずか20〜30名程度に過ぎません。
東大法学部や京大をはじめとする全国屈指の頭脳が集う精鋭集団ですが、椅子は最初から「1つ」しか用意されていません。30代前半までは横並びで昇進していくものの、40歳前後で本省の企画官や課長補佐から主要課長へと昇格する過程で、冷徹なふるい落としが始まります。政策立案能力はもちろん、国会対応、与党事前審査での根回し、トラブル時の危機管理能力、そして過密スケジュールを耐え抜く強靭な体力が24時間体制で試され続けます。
50代に入ると、審議官、局長へとポストは一気に狭まります。事務次官の出世コースにおいて極めて重要とされるのが、「大臣官房長」や各省の「筆頭局長(財務省であれば主計局長、経産省であれば経済産業政策局長など)」のポストです。これらの花形局長に就任した数名が、最終コーナーで激しいデッドヒートを繰り広げます。
そして霞が関には、長年受け継がれてきた非情な人事慣行が存在します。それは「同期入省の中から1名が事務次官に指名された瞬間、残る同期全員が自ら辞表を提出して省を去らなければならない」という鉄の掟です。組織の指揮命令系統を乱さないため、次官より年次が上の先輩はもちろん、同期すらも省内に留まることは許されません。経済ジャーナリストの岸宣仁氏が指摘するように、霞が関出世すごろくとは、毎年誰かが静かに間引きされていく過酷な生存競争そのものです。30年以上の競争を生き残り、最後の1席を勝ち取った者だけが事務次官の執務机に座ることを許されます。