1992年4月2日未明、若山富三郎は定宿としていた京都全日空ホテル(現・ANAクラウンプラザホテル京都)の客室で激しい胸の痛みを訴えて突如倒れました。直ちに京都市内の京都第一赤十字病院へと救急搬送され、医師団による懸命な蘇生措置が行われたものの、同日午前11時38分、帰らぬ人となりました。公式に発表された死因は「急性心不全」でした。
当時の医療関係者や現場に駆けつけた関係者の証言によると、若山は以前から重度の糖尿病を患っており、血糖値のコントロールに苦慮しながら過密な撮影スケジュールをこなしていました。糖尿病は自律神経障害や動脈硬化を著しく進行させ、心筋梗塞や致死的不整脈を誘発するリスクを飛躍的に高めます。身体に蓄積していた極度の疲労と血管へのダメージが限界に達し、心機能を急激に停止させたと見られています。
当時、現場の病室に駆けつけた長男で俳優の若山騎一郎や親族、映画関係者は、直前まで普段通りに会話を交わしていた姿との落差に言葉を失いました。62歳というあまりにも早すぎる死は、昭和の豪快なスターが自らの生命力を削りながら芸を全うした末の悲劇でした。