メディア露出が急増するにつれ、インターネット上やSNSでは桂宮治に対する評判が二分される現象が起きています。5ちゃんねるやX(旧Twitter)、Yahoo!知恵袋などの反応を定点観測すると、評価の分かれ目は極めて明瞭です。
一部の視聴者や古参ファンからは、「日曜の夕方にしてはテンションが高すぎて疲れる」「声が大きくて耳障り」「大喜利の回答が下品に感じることがある」といった批判的な声が散見されます。昭和の『笑点』が醸し出していた、のんびりとした隠居長屋のような枯れた掛け合いを好む層にとって、宮治の圧倒的な手数と前のめりな姿勢は、時に過剰な自己主張として映る側面があるのは事実です。
しかし、実際の寄席や独演会に足を運んだファンの声は、そうしたネガティブな評判を完全に払拭します。劇場レビューサイトや来場者の生の声では、「テレビの何十倍も爆笑した」「劇場の空気を5秒で自分の色に染め上げるエネルギーが桁違い」「声が大きいだけでなく、間(ま)の取り方が恐ろしく緻密」といった絶賛のコメントが圧倒的多数を占めています。
さらに注目すべきは、宮治の古典落語における人情噺の完成度です。『子は鎹(かすがい)』や『藪入り』などを高座にかける際、宮治はテレビで見せる甲高い大声を完全に封印し、切々と親子の情愛を語り紡ぎます。観客席のあちこちからすすり泣きが漏れるほどの情念と哀愁を漂わせるその芸域の広さこそが、落語関係者や玄人筋から「ただの騒がしいタレント落語家ではない」と極めて高く評価される本質的な理由です。