佐藤浩市さんが役者の道を志した際、父親である三國連太郎さんに相談することは一切ありませんでした。1980年に映画『青春の門』のオーディションに合格して本格デビューを飾った際も、世間は「名優・三國連太郎の息子がデビュー」と騒ぎ立てましたが、当人同士の間には冷え切った空気が漂っていました。
確執の核心にあったのは、幼少期に自分と母親を捨てた父親への人間的な不信感と、「俳優・三國連太郎」という巨大すぎる怪物への嫉妬と反発です。三國さんは役作りのために自身の歯を10本近く抜くなど、常軌を逸した狂気をスクリーンに捧げた人物でした。家庭を犠牲にしてまで芸の肥やしにする生き方に対し、多感な青年期の佐藤浩市さんが激しい嫌悪を抱いたのは自然な成り行きでした。
デビュー直後、とある映画賞の授賞式で同席した際も、2人は視線を合わせることすら避けたと報じられています。佐藤浩市さんは当時のインタビューで「あの人の息子と呼ばれることが何より嫌だった」と率直に語っており、20代から30代前半にかけての佐藤浩市さんは、「三國連太郎の息子」というレッテルを実力だけで粉砕することに執念を燃やしていました。