事件が起きたのは、1983年(昭和58年)3月28日の夕暮れ時でした。春の全国縦断コンサート「松田聖子スプリング・コンサート」の華々しい初日を飾る舞台となったのが、沖縄県沖縄市にある沖縄市営体育館(沖縄市体育館)でした。会場には約4,000人もの熱狂的なファンが詰めかけ、当時21歳を迎えて名実ともにトップシンガーへと君臨していた彼女の一挙手一投足に熱い視線を注いでいました。
18時30分に幕を開けたステージは、熱気と興奮に包まれて順調に進行していました。しかし、開演から1時間余りが経過した19時40分頃、暗転した舞台から照明が点灯した刹那、最前列付近の客席から一人の男が猛然とダッシュし、高さ約1.5メートルのステージへよじ登ったのです。
男の手には、工事用足場やテント支柱の切れ端とみられる長さ約30〜40cm、太さ約1.5cmのスチールパイプ(金属棒)が握られていました。ステージ中央で無防備に歌っていた松田聖子に対し、男は躊躇することなくその金属棒を振り下ろしました。鈍い打撃音とともに、彼女の頭部や右前腕部に計5回から6回もの殴打が加えられたのです。
会場を埋め尽くしていた割れんばかりの歓声は、一瞬にして凍りつくような悲鳴と絶叫へと変わりました。殴打された松田聖子はその場に崩れ落ち、マイクを取り落としてうずくまりました。このとき客席で目撃していた沖縄出身のものまねタレント・魅川憲一郎氏をはじめとする多くの観客は、「最初は演出のアクシデントかと思ったが、直後に耳をつんざく悲鳴が響き、体育館全体がパニックに陥った」と当時の異常な緊迫感を証言しています。
混乱を極めるステージ上で真っ先に動いたのは、配備されていた専属警備員ではなく、最前列で声援を送っていた熱心なファン組織「聖子親衛隊」の青年たちでした。複数の親衛隊メンバーが異変を察知して即座にステージへ飛び上がり、暴れ回る男にタックルを仕掛け、体ごと押さえつけて凶器を奪い取りました。もし彼らの瞬時の介入がなければ、致命的な打撃が脳幹部などを直撃し、取り返しのつかない大惨事になっていたことは間違いありません。