貴ノ花利彰の真実|死因の真相と若貴兄弟の愛憎、家族の光影

貴ノ花利彰の真実|死因の真相と若貴兄弟の愛憎、家族の光影

貴ノ花利彰の真実|死因の真相と若貴兄弟の愛憎、家族の光影の全体像を詳しく解説してご紹介します。

1981年1月場所限りで現役を引退した貴ノ花は、年寄・藤島を襲名し、翌1982年に中野新橋に藤島部屋を興しました。当時の相撲界では分家独立して成功を収めるのは至難の業とされていましたが、元大関・貴ノ花の知名度と情熱的なスカウトにより、全国から有望な若者が集まりました。

その筆頭が、実の息子である花田勝(のちの若花田・3代目若乃花)と花田光司(のちの貴花田・貴乃花)でした。さらに、のちに大関へ昇進する貴ノ浪、関脇・安芸乃島、貴闘力といった個性派力士たちが次々と台頭します。1993年、兄の初代若乃花が日本相撲協会を停年退職するタイミングで部屋を統合し、名門・二子山部屋を継承。一門の最大勢力として「二子山王国」を築き上げ、1990年代前半の「若貴ブーム」という大相撲史上空前の熱狂を演出しました。

名伯楽として称賛された二子山親方でしたが、その指導哲学は「家庭の父」を完全に殺す過酷なものでした。部屋の稽古場では実の息子二人に対しても「親方と弟子」の徹底した上下関係を求め、「土俵の上では実の兄弟でも敵だ」と言い聞かせました。後年のドキュメンタリー番組や手記において、息子たちは「家に帰っても父親はいなかった。目の前にいたのは常に厳しい二子山親方だった」と述懐しています。この徹底した公私混同の排除こそが二大横綱を生み出した原動力であった反面、家族としての自然な対話や感情の受容を奪い去り、将来の家庭崩壊の種を静かに蒔くことになりました。

阿部 裕樹
著者

阿部 裕樹

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。