柏戸剛の生涯と家族関係を紐解くと、そこには相撲道に命を捧げた武骨な男と、それを陰で支え続けた妻の深い絆が浮かび上がります。
山形県東田川郡山添村(現・鶴岡市)の農家に生まれた富樫剛少年は、類いまれな体躯と運動神経を見出され、名門・伊勢ノ海部屋に入門しました。現役時代は怪我や糖尿病、内臓疾患と闘いながらも、一切の妥協を許さない猛稽古で横綱の地位を守り抜きました。
引退後は年寄・鏡山を襲名し、1970年(昭和45年)に鏡山部屋を旗揚げ。二人三脚で部屋を切り盛りしたのが、妻の富樫君代さんでした。君代夫人は弟子たちにとってまさに「母親」代わりであり、実子がいなかった夫妻は、預かった弟子たちを我が子同然に慈しみ、厳しく育て上げました。
関係者の回想録によると、柏戸は「相撲部屋の弟子こそが自分の子供だ」と周囲に語っていたとされます。1996年(平成8年)12月8日、柏戸は肝不全のため58歳の若さで急逝しましたが、その葬儀・告別式では君代夫人が喪主を務め、直弟子であった元関脇・多賀竜(第8代鏡山親方)をはじめとする角界関係者が深く哀悼を捧げました。