甲子園史上最大の論争を巻き起こした敬遠劇ですが、馬淵史郎監督が下した決断の背景には、冷徹なまでの戦力分析と勝率へのリアリズムが存在していました。
当時の報道や後年の回顧インタビューにおいて、馬淵監督は星稜高校の練習を視察した際の衝撃を語っています。フリー打撃で甲子園のライトスタンド上段、ラッキーゾーンを軽々と越えていく松井選手の打球スピードと飛距離は、高校生のレベルを遥かに凌駕していました。「高校生の中に一人だけプロのクリーンアップが混ざっているようなもの。普通に勝負したら確実にスタンドへ放り込まれる」と判断したのです。
当時の明徳義塾のチーム事情も大きく影響していました。エースの河野投手は球速130km/h台前半の制球力で打ち取る軟投派左腕であり、松井選手を力でねじ伏せる球威はありませんでした。走者がいる場面はもちろん、走者なしの状況であっても、松井選手に長打を浴びれば一気に相手へ流れが傾くことは明白でした。
馬淵監督は試合前夜、投手陣と捕手に対して「松井の全打席敬遠」を指示。「打たれて負けるくらいなら、ルールに則って敬遠し、次の打者で確実にアウトを取る。これがウチが勝つ唯一の確率だ」と説きました。高校野球の美学よりも、グラウンドに立つ部員たちに勝利をもたらすための確率論を冷酷なまでに選択した結果が、あの5打席連続敬遠だったのです。