インターネット上やSNSの解説動画などで頻繁に話題となるのが、「君が代は実は古代の熱烈なラブレター(愛の告白)だった」という言説です。この解釈にはどこまで信憑性があるのでしょうか。文献資料を紐解くと、この説が生まれた背景には確かな歴史的事実と、後世のロマンチックな解釈の双方が関係していることが判明します。
君が代の原歌は、西暦905年(延喜5年)頃に醍醐天皇の命によって編纂された勅撰和歌集『古今和歌集』の巻第七「賀歌(がのうた)」の冒頭に収録されています。そこには作者の名前はなく、「詠み人知らず」として以下の形で記されていました。
「我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」
現行の「君が代は」ではなく、冒頭が「我が君は」となっていた点が決定的な違いです。「賀歌」とは、長寿の祝い(現代の還暦や古希などに相当する年祝い)や、正月などの慶事の席で相手の長寿・健康・繁栄を寿ぐ(ことほぐ)ために詠まれる祝意の歌を指します。当時、この歌は特定の天皇や朝廷の支配者だけに向けて詠まれたものではなく、宴の席で主君、長老、親しい友人、あるいは愛する家族など、詠み手にとって「かけがえのない敬愛する対象」全般に対して広く贈られていた民間歌謡に近いものでした。
平安時代において「君(きみ)」という語は、敬愛する男性や女性に対する親愛の情を込めた二人称としても日常的に用いられていました。また、平安末期の歌集『和漢朗詠集』などでは「君が代」という形での収録も見られるようになり、恋人同士の間で「愛するあなたの命が永遠に続きますように」という情熱的な祈りとして私的に贈答された記録も残されています。つまり、「国家の統治者を讃える歌」という厳格なイメージが定着する遥か前、この歌は人間同士の純粋な敬愛や愛情をまっすぐに願う祝意の調べとして人々の生活に息づいていたのです。