日本が世界地図の右端に位置することと、日本や東アジア地域が国際政治で「極東」と呼ばれることには、切っても切れない因果関係があります。極東と呼ばれる由来と歴史を紐解くと、そこには徹底した「ロンドン中心の世界観」が存在します。
19世紀のイギリス外交界や軍部において、世界はロンドンからの物理的・心理的距離によって3つの同心円に区分されました。
- 近東(Near East):オスマン帝国領を中心とする東地中海地域、バルカン半島周辺。
- 中東(Middle East):近東とインドの間に位置するペルシャ湾岸、メソポタミア周辺。
- 極東(Far East):インドよりさらに東、中国、朝鮮半島、そしてユーラシア大陸の東端にある日本列島。
自国の領土を「中庸の国(中国)」や「日のいづる処(日本)」と呼んできたアジアの人々にとって、「東の極み」という呼び名は本来何の脈絡もありません。それは純粋に、テムズ川の河畔に座すイギリスの政治家や提督たちが、東インド会社や極東艦隊を派遣する戦略上の距離感覚から命名した他者規定のラベルに過ぎませんでした。
メルカトル図法によって描かれたイギリス中心の世界地図は、この「西洋が中枢、アジアは極東」という力関係を視覚的に固定化し、世界中の人々の無意識に定着させる強力なイデオロギー装置として機能したのです。