日常の会話の中で「公平」と「平等」を同義語として扱ってしまうケースは少なくありません。しかし、この2つの概念には目的とアプローチにおける決定的な断絶が存在します。その違いを世界中に知らしめた契機が、ネット上で爆発的に拡散された「野球場のフェンスと踏み台」を描いた公平と平等のイラスト解説です。
このイラストには、高い木製フェンスの外側から野球の試合を見ようとしている身長の異なる3人の子どもが登場します。背の高い長身の子、平均的な身長の子、そして背の低い小柄な子です。
最初のパネルである「平等(Equality)」では、3人全員にまったく同じ高さの木箱(踏み台)が1個ずつ配られます。条件は一律で非の打ち所がないように見えます。しかし、長身の子は箱に乗ることでさらに見晴らしが良くなり、平均的な身長の子はギリギリ試合が見えるようになる一方、小柄な子は箱に乗ってもフェンスの頭すら越えられず、試合を見ることができません。「全員に同じリソースを均等に与える」という平等のアプローチは、スタートラインにある生来の格差を無視するため、結果として不条理を温存・固定化させてしまうのです。
対して、2枚目のパネル「公平(Equity)」では配分のルールが一変します。もともと背が高くフェンス越しに見える子には箱を配らず、平均的な身長の子には1個、そして小柄な子には2個の箱を与えます。その結果、3人全員の視線の高さが揃い、等しく試合を楽しめるようになります。一人ひとりの初期条件や抱える困難の度合いに応じてリソースの配分比率を傾斜させることこそが「公平」の神髄です。
さらに現在では、この議論は「正義(Justice)」や「解放(Liberation)」を描く第3・第4のパネルへと発展を遂げています。そもそも視界を遮っている木製フェンスを金網や透明なアクリル板に変え、障害そのものを取り払ってしまうアプローチです。踏み台を誰に何個配るかという配分論にとどまらず、制度的な障壁そのものを撤廃する視点こそが、現代の法制度や社会運動が目指す到達点といえます。