2007年1月の宮崎県知事選で初当選を果たした東国原氏は、就任直後から規格外のトップセールスを展開しました。就任演説で発した宮崎弁「どげんかせんといかん」はその年の新語・流行語大賞年間大賞を受賞。宮崎完熟マンゴーや地鶏などの特産品を自らテレビカメラの前でPRし、宮崎県産品のブランド価値を飛躍的に押し上げました。
一方で、その任期は危機管理の連続でもありました。2010年に発生した口蹄疫問題では、畜産業の存亡をかけて非常事態宣言を発令。自衛隊や国との折衝に奔走し、現場の陣頭指揮を執る姿は連日全国に報じられました。1期4年の任期満了をもって「一定の役割を果たした」として知事を退任した東国原氏でしたが、政治への挑戦はそこで終わりませんでした。
2011年4月の東京都知事選挙に出馬し、現職の石原慎太郎氏に敗れたものの169万票余りを獲得して次点に食い込み、都市部有権者への求心力を証明。その後、2012年の第46回衆議院議員総選挙では日本維新の会から比例近畿ブロック単独1位で当選し国政へと駒を進めました。しかし、党内の路線対立や自らの政治理念との乖離から、わずか1年後の2013年12月に議員辞職と離党を電撃表明。さらに2026年の宮崎県知事選では12年ぶりの返り咲きを目指して出馬し、現職の河野俊嗣氏と激しい舌戦を繰り広げたものの惜敗を喫しました。