大仏建立と彷徨う遷都の真相|聖武天皇が直面した危機と天平文化

大仏建立と彷徨う遷都の真相|聖武天皇が直面した危機と天平文化

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大仏造立に先立ち、聖武天皇は741年に国分寺国分尼寺建立の詔を発令しました。これは全国60数カ国の令制国ごとに、官寺として国分寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)を整備させ、国ごとに僧侶と尼僧を配置して国家の平安を祈らせる壮大なネットワーク構想でした。

そして743年、紫香楽宮において「盧舎那仏造立の詔」が出されます。国家の総力を挙げた巨大仏像の建立は、当時の技術や財政規模から見て途方もない難事業でした。銅の調達から鋳造技術、膨大な労働力の確保まで、朝廷の力だけでは到底完結し得ない規模でした。

ここで重要な役割を果たしたのが、僧侶の行基です。行基はかつて朝廷の許可なく民衆へ布教を行い、治水や架橋などの社会事業を手掛けたことで弾圧を受けていました。しかし、民衆から絶大な支持を集めていた行基の影響力に着目した聖武天皇は、過去の対立を乗り越えて彼を最高位の「大僧正」に抜擢。行基は大仏造立のための寄付(勧進)集めや民衆の動員に奔走し、国家プロジェクトの推進力となりました。

また、聖武天皇の最良の理解者であり共同統治者とも言える存在が、皇后の光明皇后です。彼女は日本史上初めて皇族以外の藤原氏出身として立后され、施薬院や悲田院を設けて貧民や病人の救済に尽力するなど、仏教の慈悲の実践を通じて聖武天皇の治世を力強く支え続けました。

山下 哲也
著者

山下 哲也

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。