二人の書く歌詞には、極めて私的でありながら、普遍的な説得力を持つ言葉が並ぶ。藤圭子の歌が「宿命」を受け入れる諦念に満ちているとすれば、宇多田ヒカルの歌は、その宿命とどのように対峙し、折り合いをつけて生きていくかという「対話」のプロセスである。
宇多田の近年の楽曲、特に母親の死を経て制作されたアルバム『Fantôme』やそれ以降の作品には、母・藤圭子への直接的な言及や、彼女の影を感じさせるフレーズが散りばめられている。悲しみを否定するのではなく、自らの一部として抱きしめること。歌詞を通じて行われるこの自己救済の試みは、同じように傷を抱えて生きる現代人の心に深く刺さる。