この表現のルーツを辿ると、和食器や茶道具の文化に行き着く。「身」とは器の本体であり、「蓋」はその上にかぶせる覆いである。本来あるべき本体も覆いもなく、中身がそのまま剥き出しになっている状態――これこそが語源の骨組みだ。味わいや余情を楽しむ日本伝統の美学から見れば、器すら用意せずに料理を差し出すような無作法を意味していた。
江戸時代の戯作や落語の文脈でも、相手の面目を潰すような野暮な指摘を戒める意味で使われてきた。つまり、単に「真実を語る」ことではなく、「情緒や思いやりを一切排除した無骨さ」への批判的な視線が込められていたのだ。歴史を経てもなお、この言葉にどこか苦味が残るのはそのためだ。