歴史の糸をたどれば、その起源は推古天皇の御代(595年)に遡る。旱魃に苦しむ民を救うため、大地から忽然と山が湧き出し、十一面観音の化身たる神仏が降臨したのが始まりと伝えられる。その後、天台宗の高僧である慈覚大師円仁がこの地を巡錫した際、民の安寧を祈って自ら尊像を刻み、山上に安置した。
正式名称を本龍院(待乳山聖天)と号するこの寺は、広大な信仰圏を誇る金龍山浅草寺の支院(子院)の一つである。浅草寺本堂の華やかな賑わいと対照的に、本龍院が秘仏信仰の重厚な静寂を保ち続けているのは、聖域としての役割分担が数百年もの間崩れていない証左だろう。江戸時代の浮世絵や随筆にも、隅田川の舟遊びとともに待乳山の緑豊かな佇まいがしばしば描かれており、江戸町民の精神的支柱であった歴史が偲ばれる。