なぜ同じ漢字を背負いながら、これほどまでに隔絶した語義を持つに至ったのでしょうか。その謎を解く鍵は、弄の漢字の読み方と成り立ち、そして弄ぶと弄るの語源と経緯の中に刻み込まれています。
漢字の「弄」は、音読みで「ロウ」、訓読みで「もてあそ-ぶ」「いじ-る」「ろう-する」と読みます。古代中国の甲骨文字や金文を紐解くと、この漢字の上部は「玉(ぎょく=美しく磨かれた宝玉)」を、下部の「廾(きょう)」は「両手で捧げ持つ姿」を象っています。すなわち原義は、「両手で高価な宝玉を大切そうに持ち上げて眺め、愛でる」という、極めて純粋な鑑賞行為でした。
しかし、時代が下るにつれて「手の中で玉をくるくると転がして楽しむ」というニュアンスへと変容し、やがて「物をおもちゃにして遊ぶ」「慰みものにする」という俗悪な意味合いが派生します。この意味の分岐が、日本語へ移入された際に2つの異なる動詞として定着しました。
「もてあそぶ」の語源は、「物手遊ぶ(もの・て・あそぶ)」、あるいは「手にもって遊ぶ」という古代日本語の表現が縮約・融合したものです。平安貴族の文学作品では「季節の花や風流な道具を手元に置いて慈しむ」という雅やかな意味で用いられていましたが、中世から近世にかけて「人を手玉に取って慰み者にする」「運命に翻弄される」といった冷酷な表現へと重心が移っていきました。
一方で「いじる」は、「指(ゆび)」や「弄(いじ)る」という身体動作の擬態語・俗語的な性格を帯びて近世以降に普及しました。体の一部や手近な小道具をせわしなく触る動作を指していたものが、現代では「手を加えて調整する」「親しい間柄でからかう」という意味へ展開したのです。
ここでしばしば混同されるのが、弄ぶと弄くるの違いです。「弄くる(いじくる)」は「弄る」を強調した表現であり、指先で執拗にいじくり回す、無意味に手を加えて改悪してしまう(例:下手にプログラムを弄くってバグを出す)という、物理的・即物的なニュアンスに限定されます。「弄ぶ」のように人間の尊厳を奪って心理的に支配するような精神的次元の加害性を含まない点が、決定的な識別点となります。