日常的に使われている旧国名ですが、その語源を深掘りすると、古代の人々が抱いていた地形への畏怖や政治的プロパガンダが色濃く現れています。代表的な例として「山城」と「武蔵」のルーツを紐解いてみましょう。
「山代」から「山城」へ変貌した京都の政治的演出
京都府南部を指す「山城(やましろ)」は、もともと飛鳥・奈良時代には「山代」あるいは「山背」と表記されていました。奈良盆地の大和朝廷から見て「山の背後にある地域」を意味していたからです。これが一変したのが延暦13年(794年)、桓武天皇による平安京遷都でした。天皇は新都を囲む山々を天然の要塞に見立て、国の守りを固める軍事的意味を込めて、文字を「山城」へと改名させました。単なる地名ではなく、国家防衛のプロパガンダとして漢字が書き換えられた貴重な実例です。
「武蔵」の原点は荒ぶる神か、古代入植者の足跡か
現在の一大首都圏である「武蔵(むさし)」の由来には諸説あり、古代史学者の間でも熱い議論が続いています。古事記や日本書紀の時代には「無邪志」「牟佐志」と表記され、埼玉県の秩父地方に鎮座する知知夫国造(ちちぶのくにのみやつこ)や武蔵国造の勢力範囲でした。有力な説として、茅(カヤ)が生い茂る低湿地を指すアイヌ語源説や、開拓の指導者であった古代部族の名、さらには駿河の「富士」に対して「身狭(むさ)」と呼ばれた地域から派生した説などが挙げられます。いずれにせよ、荒川・多摩川水系を中心とした広大な関東平野の湿地帯を開拓していった先人たちの息遣いが、その音の中に封じ込められています。
なぜ1つの県に5つの国?兵庫県が抱える「人工のモザイク」
都道府県旧国名対照表を検証する上で、最も読者が驚くのが兵庫県の成り立ちです。兵庫県は「摂津」「播磨」「但馬」「丹波」「淡路」という、風土も言葉も産業構造も全く異なる5つの令制国から成り立っています。なぜこのようなモザイク国家が誕生したのでしょうか。
明治政府関係者の証言録や公文書を精査すると、そこには開港地である「神戸港」の存在がありました。豊かな貿易収入をもたらす神戸を擁する兵庫県に対し、周辺の財政難に陥っていた小藩や旧国を次々と合併・吸収させた結果、日本海から瀬戸内海、淡路島に至る巨大な県が形成されたのです。現在でも但馬地方(日本海側)と摂津・播磨地方(瀬戸内側)では気候区分すら異なり、住民の地域意識にも旧国単位のアイデンティティが根強く残っています。