中国の神話や儒教思想において、麒麟は鳳凰・霊亀・応龍とともに「四霊」と称される吉祥の幻獣です。鹿の胴体、牛の尾、馬の蹄、頭部に一本角を持つとされ、温厚で草木を踏まず、名君が善政を敷いた平和な世にのみ現れると伝えられてきました。しかし、文献や絵画のどこを紐解いても、麒麟に「鳥のような翼」が描かれた例はありません。
日本橋の麒麟像に翼が与えられた理由は、当時の設計者たちが込めた「道路元標としての象徴性」にあります。日本橋は江戸時代以来、五街道の起点であり、明治政府にとっても全国道路網の中心地でした。橋の装飾顧問を務めた大蔵省臨時建築部長の建築家・妻木頼黄(つまき よりなか)と、原型制作を担当した彫刻家・渡辺長男(わたなべ おさお)は、この地を「帝都東京の出発点」と位置づけました。
「この場所から日本中へ、そして世界へと羽ばたく」――。日露戦争を経て急速に近代化を推し進めていた明治末期の日本において、青銅の翼は単なる装飾ではなく、近代国家の飛翔と繁栄を祈念するメタファー(暗喩)として意図的に生やされた造形だったのです。東洋の伝統的な幻獣に、西洋建築に見られるグリフォンやガーゴイルの意匠感覚を融合させた、明治和洋折衷芸術の極致といえます。