1939年に三代目市川段四郎の長男として生まれた三代目市川猿之助(本名・喜熨斗政彦)は、若くして過酷な運命に直面します。1963年、後ろ盾であった祖父・初世猿翁と父・段四郎を相次いで亡くし、歌舞伎界の名門でありながら門閥の後ろ盾を失った「歌舞伎界の孤児」と呼ばれる逆境に立たされました。
しかし、彼は伝統の殻に閉じこもることを拒絶しました。1968年、江戸時代以来長らく途絶えていた宙乗りを『義経千本桜』四の切で劇的に復活させ、観客の度肝を抜きます。ケレン(大がかりな仕掛けや演出)を蔑視する本流の批判に晒されながらも、「観客に愛されてこその演劇」という信念を貫き、自ら座頭を務める自主公演を次々と成功させました。
その革新性が頂点に達したのが、1986年に哲学者・梅原猛とタッグを組んで創始したスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』です。スピード、ストーリー、スペクタクルの「3S」を掲げ、現代語の台詞と最新の照明・音楽技術を融合させた舞台は、歌舞伎ファンのみならず一般層を熱狂させ、演劇界全体の興行記録を塗り替えました。