北海道の敬虔な家庭環境に生まれ育った古賀浩靖は、神奈川大学法学部に進学後、当時学生運動が吹き荒れる大学界隈において、民族派学生組織である生長の家学生会全国総連合(生学連)で活動を始めました。左派全共闘が猛威を振るう激動の時代背景のなかで、日本の伝統精神とアイデンティティの再興を模索していた青年期でした。
1968年、古賀浩靖は三島由紀夫が主宰する民間防衛組織「楯の会」に第2期生として入隊します。学問と武道に秀でていた古賀は、特に居合道(抜刀術)において二段の腕前を有しており、その沈着冷静な人柄と相まって三島由紀夫や学生長の森田必勝から絶大な信頼を寄せられる存在となっていきました。
当時の楯の会関係者が残した回想録によると、古賀は周囲を威圧するタイプではなく、常に物静かで思慮深く、任された規律を厳格に守るストイックな青年として記憶されています。この揺るぎない精神的集中力こそが、後に歴史の分岐点となる市ヶ谷の総監室で決定的な役割を果たす要因となりました。