公共性の極めて高いインフラ施設に対し、架空のキャラクター、しかも「妖怪」の名を冠する決定は、当時としては極めて異例の挑戦でした。この米子鬼太郎空港愛称の由来と経緯を紐解くと、地方空港の生き残りを賭けた行政と地元住民の熾烈な戦略が浮かび上がってきます。
発端となったのは、2009年12月に完成した滑走路の2,500m延伸化事業です。大型旅客機の離着陸や国際チャーター便の誘致が可能となったタイミングに合わせ、鳥取県や米子市、境港市、経済団体などで構成される協議会が空港の知名度向上と観光誘客を目指して愛称の公募・選考を開始しました。そこで満場一致に近い支持を集めたのが、境港市が生んだ世界的漫画家・水木しげる氏の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』でした。
しかし、愛称決定に至る道筋は平坦ではありませんでした。当時の関係者証言や地元報道の記録によると、当初は「神聖な空の安全を担う空港に、不気味な妖怪の名前をつけるのは縁起が悪いのではないか」「事故を連想させないか」といった慎重論や反発の声が一部から上がったのも事実です。
この議論を覆したのが、当時すでに年間数百万人規模の観光客を動員していた水木しげるロードの圧倒的な経済効果と、水木プロダクション側の全面的な理解でした。関係者が粘り強く説得を重ねた結果、「妖怪は古来、人間を守り地域に福をもたらす精霊である」という文脈へと意識が昇華され、2010年4月26日、正式に「米子鬼太郎空港」の愛称が運用開始されたのです。この成功は、のちの「鳥取砂丘コナン空港(鳥取空港)」をはじめとする、全国のコンテンツ活用型空港の先駆けとなりました。