大手芸能事務所である太田プロダクションに所属していた時代、彼はバラエティタレントとしての枠に安住することを決して選ばなかった。楽屋裏では寸暇を惜しんで発声練習を繰り返し、原曲の微細な息遣いまでスコアに書き込んでいたという証言が残る。日本の芸能界において、笑いと実力派シンガーのクオリティを高い次元で両立させた先駆者だった。
ステージ衣装の仕立てから照明の当て方に至るまで、彼のこだわりは徹底していた。生半可なコピーを許さないプロ意識。そのストイックな姿勢こそが、単なるブームで終わることなく、何十年にもわたって観客を魅了し続ける強靭な土台となったのだ。