朝永振一郎が遺した最大の物理学的業績と功績は、「超多時間理論」の確立と、それに続く「くりこみ理論」の提唱です。難解を極めるこれらの理論が、なぜ物理学の歴史を塗り替えるほど画期的だったのかを紐解くには、当時の物理学界が直面していた絶望的な壁を理解する必要があります。
1930年代、アインシュタインの「特殊相対性理論」と微小な物質の世界を記述する「量子力学」を融合させ、電磁場と電子の相互作用を解き明かす「量子電磁力学」の研究が進められていました。ところが、このふたつを厳密に組み合わせようとすると、粒子のエネルギーや質量を計算する方程式の答えが、どうしても「無限大(∞)」に発散してしまうという致命的な欠陥に突き当たったのです。計算結果が無限大になってしまっては、実験値との比較もできず、物理理論としての意味をなしません。
この危機に対し、朝永はまず1943年に「超多時間理論」を発表します。従来の理論では空間のすべての点でひとつの共通した時間を想定していたのに対し、空間の場所ごとに独立した時間を割り当てるという大胆な発想転換を行い、相対性理論の要求を完全に満たす数理体系を組み上げました。
そしてこの超多時間理論を基盤として導き出されたのが、「くりこみ理論」です。朝永のアイデアは、非常に明快で現実的なものでした。「計算上現れる無限大のエネルギーは、電子がもともと持っている質量や電荷のなかに最初から潜り込んで一体化している」と解釈したのです。
観測者が実験で測定できるのは、すでに相互作用をまとった後の「有限の質量」と「有限の電荷」だけです。数式上に出てくる扱いに困る無限大の項を、観測される物理量の中に巧みに包み隠して差し引き(くりこみ)、数式から無限大を排除して測定値と合致する美しい有限の解を導き出すことに成功しました。この処方箋によって、量子電磁力学は極めて高い精度で現実の物理現象を予測できる学問へと生まれ変わったのです。