作中で示された「誰もが持っている心の壁」という定義は、思春期の脆い精神性を鋭利に照射する。主人公・碇シンジが示す他者への極端な恐怖と怯え。傷つきたくないがゆえに他者を拒み、同時に激しい承認欲求に苛まれる姿は、精神分析学における防衛機制そのものだ。肉体を持たない自我は霧散してしまうが、自我を強固に保てば他者との真の交わりは絶望的になるという、いわゆる「ヤマアラシのジレンマ」が視覚化されている。
もしもこのフィールドを完全に失えばどうなるのか。物語はその極限状態として、全人類の肉体を溶かし魂をひとつに統合する「人類補完計画」を描き出した。他者との差異による苦痛が一切存在しない世界。だがそれは個の喪失、すなわち死と同義である。他者と触れ合う痛みに耐えて孤独な個として生きるか、痛みのない泥濘の中で溶け合うか。少年の葛藤はそのまま、スクリーンを見つめる観客自身の存在論的問いへと直結していた。