ネット上の掲示板やSNSでは、本作を巡って「シーンの対立を引き起こした原因」として語られるケースが散見されます。特に2002年のいわゆる「公開処刑」騒動と結びつけられ、Dragon Ashとハードコアヒップホップ界隈の間に深い遺恨を残したかのように語られることが少なくありません。
しかし、当時の記録や当事者たちの手記を客観的に検証すると、その構図は単純な敵対関係ではないことが分かります。ラッパ我リヤのメンバーは後年のインタビューにおいて、Dragon Ashとのコラボレーションに対する純粋なリスペクトと、共に楽曲を作り上げた手応えを一貫して語っています。
発生した軋轢の根本にあったのは、「アンダーグラウンドの純潔性」を重んじるカルチャーと、「メジャーシーンでの大衆化」を推し進めた熱量との摩擦でした。日本のヒップホップという表現形式が成長期を迎え、ジャンルとしてのアイデンティティを確立しようとする過渡期ならではの文化的摩擦だったといえます。この激動の歴史こそが、結果として現在の多様で豊かな日本のラップシーンの土台を築き上げました。