古代の律令制によって定められた令制国一覧において「甲斐国(かいのくに)」と定められた領域は、現在の山梨県と完全に一致します。日本全国を見渡すと、明治期の廃藩置県やその後の統合によって、複数の令制国が合体したり(尾張国と三河国が合体した愛知県など)、一つの国が複数の県に分割されたり(武蔵国が東京都・埼玉県・神奈川県の一部に分かれたケースなど)した例が少なくありません。
その中にあって、山梨県は古代から境界線がほぼ変化していません。四方を富士山、八ヶ岳、南アルプス、奥秩父といった峻険な山々に囲まれた甲府盆地を中心とする閉じた地形こそが、外敵の侵入を阻むと同時に、他地域との境界を自然に画定させました。隣接する「信濃国(現在の長野県)」や駿河国(現在の静岡県中部・東部)、相模国(現在の神奈川県)と接しながらも、山峠を境とする明瞭な区分が1000年以上にわたって維持されてきたのです。
地元行政や公文書の記録を辿っても、天正10年(1582年)の武田氏滅亡後、織田・徳川・豊臣支配を経て江戸幕府の天領(直轄領)や甲府藩として統治された時代を通じ、「甲斐一国」という枠組みが解体されることは一度もありませんでした。