野呂佳代が芸能界の表舞台に立つ契機となったのは、2006年2月に開催された「第二期AKB48追加メンバーオーディション」でした。応募総数11,892名の中から最終合格者19名に残るという、倍率600倍以上の狭き門を突破した彼女ですが、そのエントリーの裏には今や伝説となった切実なエピソードが存在します。
当時すでに芸能事務所への所属経験や落選を重ねていた野呂は、1983年10月28日生まれの実年齢22歳でした。しかし、書類選考を通過させたい一心から、応募書類の生年月日を偽り「20歳」として提出していたのです。本人が後年の回顧録や特番インタビューで語ったところによれば、「これが人生最後のチャンスだと思い詰めていた。アイドルの書類審査では年齢で即座に弾かれるという強い恐怖心があった」という、切迫した精神状態が背景にありました。
さらに、書類に貼付した応募写真にも工夫を凝らし、小顔に見えるアングルや奇跡の一枚を徹底的に追究したといいます。二次審査の面接会場で実年齢を正直に告白したものの、総合プロデューサーの秋元康氏をはじめとする審査員陣は、彼女のずば抜けた明るさ、腹の据わった度胸、そして即戦力としてのトークスキルを高く評価。規約違反スレスレの告白を乗り越え、AKB48チームKの創設メンバーとして正式に合格を勝ち取りました。この度胸と機転こそが、その後の彼女の芸能生活を支える最大の武器となります。