京都・上京区の一条通七本松西入るに位置する宥清寺は、本門佛立宗の「大本山」として特別な位置づけにある寺院です。その起源は非常に古く、延喜年間(901〜923年)に藤原蔵人忠房によって平安京の北西に建立された「青蓮院(しょうれんいん)」にまで遡ります。
鎌倉時代後期には、日蓮聖人の直弟子の一人である日印聖人によって法華宗へと改宗され、寺号を「宥清寺」と改めました。その後、中世の度重なる戦火や天災によって一時荒廃を余儀なくされますが、幕末の安政年間に運命的な転換期を迎えます。法華経の実践を説く長松清風(ちょうしょうせいふう/開導日扇聖人)がこの荒れ果てていた寺院を譲り受け、本門佛立宗の根本道場として再建を果たしました。
宥清寺の歴史は、京都の公家文化、鎌倉仏教の伝播、そして幕末の庶民運動という3つの異なる時代の波が幾重にも重なり合って形作られています。