日本中を揺るがした電撃発表が行われたのは、2002年3月21日のことでした。この日は奇しくも、1989年のデビューシングル発売から数えてちょうど13年目にあたる記念日でした。公式発表において、結成以来キーボードおよびマニピュレーターとしてサウンドの土台を支えてきた西川隆宏が、グループを離れ「独立」することがアナウンスされたのです。
当時明かされた表向きの脱退理由は、「自分自身の音楽レーベルを立ち上げ、より幅広いプロデュースワークや独自の音楽性を追求したい」という発展的なものでした。しかし、ドームツアーを満員にするトップアーティストの突然の離脱に対し、音楽関係者やファンの間では「なぜこのタイミングなのか」「不仲が原因ではないか」といった憶測が飛び交いました。
この背景を深く読み解く鍵は、彼らの原点であるドリカム結成秘話にあります。もともと1980年代後半、スタジオミュージシャンやサポートベーシストとして腕を鳴らしていた中村正人が、圧倒的な歌唱力と表現力を持つ若き吉田美和の歌声に惚れ込み、ユニットの結成を熱望したのがすべての始まりでした。そこに、吉田美和の出身地である北海道池田高校の後輩で、地元でキーボードを演奏していた西川隆宏が合流。「CHA-CHA & Audrey's Project」という初期構想を経て、1988年にDREAMS COME TRUEが正式に産声を上げました。
結成当初の3人は、コンポーザー・アレンジャーとして楽曲の骨組みを作る中村正人、唯一無二のメロディと歌詞を紡ぐ吉田美和、そして最新のシンセサイザーや打ち込み機材を駆使してステージ上で音像を具現化する西川隆宏という、極めて合理的な役割分担で機能していました。しかし、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、音楽制作の現場には劇的な技術革新(DTMの進化やハード音源からソフト音源への急速な移行)が押し寄せていました。
制作環境がデジタル化・高度化するにつれ、中村正人と吉田美和の2人だけで楽曲制作の根幹が完結する度合いが強まりました。ライブの規模がスタジアム級へ拡大する一方、スタジオワークにおける西川隆宏のポジションは徐々に狭まり、「自身がバンド内に存在するクリエイティブ上の意義」をめぐって深刻な葛藤を抱えるようになったと当時のレコード会社関係者は証言しています。音楽的な自負とグループの巨大化という狭間で生じたアイデンティティの揺らぎこそが、自立を選択させた根本的な要因でした。