ウーマンリブとは何だったのか?過激な実態とフェミニズムの歴史的真相

ウーマンリブとは何だったのか?過激な実態とフェミニズムの歴史的真相

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日本におけるウーマンリブ運動の歴史は、激しく燃え上がり、わずか数年で形を変えて社会の毛細血管へと浸透していった。その激動の軌跡を、年表形式で整理する。

年月出来事と運動の展開1970年10月国際反戦デーにて、田中美津らが中心となり「ぐるーぷ・闘う女」が日本初のリブデモを決行。1971年8月長野県で「第1回リブ合宿」開催。全国から約300人の女性が参加し、身体や性の悩みを徹底的に語り合う。1972年11月東京・新宿に「リブ新宿センター」が開設。駆け込み寺、共同保育、電話相談、情報発信の拠点となる。1972〜1974年政府による「優生保護法改悪案(経済的理由による中絶条項の削除)」に反対し、激しい街頭闘争とロビー活動を展開。法案阻止に成功。1977年リブ新宿センター閉鎖。運動は地域のミニコミ、DVシェルター活動、学問領域(女性学)へと分散・発展。1985年国連女子差別撤廃条約批准に伴い、男女雇用機会均等法が制定される。

運動の中心にいたのが鍼灸師であり思想家の田中美津だ。彼女が著した『いのちの初潮期へ』(1972年)は、自らの身体感覚を通して女性の解放を綴った不朽の名著として知られる。田中は「便所からの解放」という衝撃的な言葉で、男性にとって都合の良い「聖女」か「娼婦(性の処理具)」に二分される女性のあり方に異を唱えた。

新宿区若田町に設立された「リブ新宿センター」は、夫からの暴力に苦しむ女性をかくまい、望まない妊娠に悩む女性の電話相談に応じ、共同で子育てを模索する実戦の場であった。ここには固定された会則も会長職もなく、訪れた女性たちが対等に自分の体験を吐露し合う「意識高揚(コンシャスネス・レイジング)」の場として機能した。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

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