「心頭を滅却すれば火もまた涼し」という言葉をめぐっては、「戦国武将や日本の僧侶が作った言葉」と誤解されているケースが少なくありません。この表現は中国・唐代末期の詩人である杜荀鶴(とじゅんかく)の漢詩が原型であり、それを日本の臨済宗の高僧・快川紹喜が自らの最期において引用したことで決定的な知名度を獲得しました。
杜荀鶴が詠んだ詩は『夏日悟空上人院に題す(かじつごくうしょうにんいんにだいす)』と題された五言律詩です。修行僧である悟空上人の寺を訪れた際、夏の過酷な暑さの中で涼やかな顔をして座禅を組む僧の姿に感銘を受け、次の一節を遺しました。
【原詩の一節】
「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭を滅却すれば火も自(おのずか)ら涼し」
(安禅不必須山水、滅却心頭火自涼)
この漢詩の現代語訳は、「静かに座禅を組んで心境を落ち着かせるのに、必ずしも静かな山や川のような清涼な自然環境に身を置く必要はない。心の中にある雑念や執着を完全に消し去ることができれば、燃え盛る火の中にいたとしても自然と涼しく感じられるものだ」というものです。日本では「火も自ら涼し」が「火もまた涼し」と変化して広まりました。