日本のコーヒー文化を語る上で欠かせないのが、先駆者たちが残した情熱とイノベーションの歴史です。
1888年に可否茶館を開いた鄭永慶(てい えいきょう)は、外務省の官吏などを歴任したエリート知識人でした。フランス留学などを通じて欧米のカフェ文化に触れた彼は、「庶民や若者が気軽に集い、新聞や書物を読みながら知見を広める場を作りたい」という高い理想を掲げて開業に踏み切りました。当時の記録によると、トランプや碁、ビリヤード台を備え、更衣室や文房具まで用意された先進的な空間だったと伝えられています。
しかし、当時の庶民にとってコーヒー1杯1銭5厘(当時の蕎麦1杯が1銭程度)は決して手軽とは言えず、事業としてはわずか4年余りで幕を閉じることとなりました。早すぎた挑戦ではあったものの、彼の残した精神は後の大正・昭和の純喫茶文化へと確実に受け継がれていきます。
一方、コーヒーを真の意味で大衆の日常飲料へと変貌させたのが、UCC上島珈琲の創業者・上島忠雄による缶コーヒーの開発です。1960年代後半、鉄道の駅売店で瓶入りのコーヒー牛乳を飲んでいた上島氏は、列車の発車ベルに追われ、飲み残した瓶を返却せざるを得ない悔しい経験をしました。「いつでも、どこでも、手軽に飲めるコーヒーは作れないか」。この強い現場感覚から、世界初となるミルク入り缶コーヒーの開発がスタートします。
缶の金属成分とコーヒーの成分が反応して変色・変質する問題や、殺菌時の熱による風味劣化など、数々の技術的障壁を乗り越え、1969年(昭和44年)に「UCCコーヒー(現・UCCミルクコーヒー)」が発売されました。翌1970年の大阪万国博覧会で爆発的なヒットを記録し、日本独自の自動販売機網の発展とともに、世界に類を見ない「缶コーヒー大国」が誕生したのです。