一連の緊迫した交渉を経て、慶応4年(1868年)4月11日、江戸城は正式に新政府軍へと明け渡されました。城内にいた大奥中臈や幕臣たちは静かに退去し、徳川慶喜は水戸へと向かいました。
無血開城がもたらした最大の成果は、首都・江戸の都市機能と100万人規模の人的資源がそのまま守られたことにあります。もし江戸が焦土と化していれば、道路、水路、商業網の再建に膨大な歳月と費用を要し、明治新政府のスタートは致命的な遅れをとっていたはずです。
内戦による国家の疲弊を最小限に抑えたからこそ、日本は欧米列強の植民地化を免れ、明治以降の驚異的なスピードでの近代化を成し遂げることができたのです。