全国に7万人を超える学生を抱える日本大学において、アンタッチャブルな聖域として君臨していたのが相撲部出身の田中英寿 前理事長でした。人事権と予算を一手に握り、異論を唱える教職員を容赦なく左遷・降格させる独裁体制に対し、一般の大手報道機関は巨額の広告費やスポーツ界とのしがらみから正面切った批判を控えていた時期が長く続きました。
その沈黙を破り、極めて具体的な内部資料や金脈の動きを糾弾し続けたのが敬天新聞 社主 糾弾活動を指揮する白倉康夫氏率いる敬天新聞でした。同紙は紙面のみならず、街宣活動や公式ウェブサイトを通じ、学内の生々しい癒着構造を継続的に発信。「日大の金が暴力団関係者や側近の懐に消えている」という告発は、当初は一部から「過激な怪文書」と片付けられることも少なくありませんでした。
しかし、敬天新聞 告発の経緯を辿ると、学内の良識ある教授陣や職員、さらには取引から排除された業者たちからの内部告発が敬天新聞に集中していた実態が浮かび上がります。大手メディアが相手にしなかった疑惑の数々を、同紙が臆せず実名で撃ち続けたことが、やがて司法当局の重い腰を動かす導火線となったのです。