細木数子氏の過去を語る上で欠かせないのが、戦後混乱期から高度経済成長期を駆け抜けた圧倒的なバイタリティと、その美貌です。1938年(昭和13年)、東京・渋谷で8人兄妹の四女として生を受けた彼女の生い立ちは、まさに昭和の裏面史そのものでした。
父の細木之伴氏は、戦前・戦中の政界で民政党院外団の壮士として活動し、大野伴睦氏ら大物政治家やアウトロー組織の関係者が出入りする豪胆な人物でした。終戦直後に父を亡くした数子氏は、母・ミツ氏が渋谷のバラック小屋で始めたおでん屋「娘茶屋」を手伝いながら、厳しい幼少期を過ごします。
転機が訪れたのは10代半ば。1954年頃、類まれな目鼻立ちの良さから「ミス渋谷」に選出されたと伝えられています。当時の写真を見ると、後年の貫禄ある占い師の面影とは大きく異なり、切れ長の涼しげな瞳と整ったフェイスラインを持つ、昭和の正統派美女であったことが分かります。
その後、17歳でコーヒーショップの経営に乗り出し、20歳前後で赤坂や銀座の高級クラブの世界へ進出。「クラブ潤」「ナイト・ロダン」などを次々と成功させ、政財界の重鎮や芸能界のフィクサーたちを顧客に持つ銀座の有名ママへと上り詰めました。この銀座時代に培われた「人の心の機微を見抜く観察眼」と「海千山千の男たちを手玉に取る度胸」が、後の六星占術ブームと歯に衣着せぬ鑑定スタイルの強固な土台となったのです。