シングル『旅立ち』のスマッシュヒット、そして1stアルバム『君のために作った歌』のリリースと、順風満帆に見えた松山千春の船出に、あまりにも残酷な悲劇が襲いかかります。
1977年8月27日、恩師・竹田健二ディレクターが急性心不全のため、36歳の若さで急逝したのです。デビューからわずか7ヶ月のことでした。
足寄から見出され、東京の大手プロモーションに迎合することなく「北海道を拠点に歌っていく」という信念を共有していた唯一無二のパートナーを失った千春の絶望は、筆舌に尽くしがたいものでした。通夜の席で遺体の傍らを片時も離れず号泣した千春は、音楽活動を断念することすら考えたといいます。
しかし、竹田氏の遺志を継ぐことこそが生涯の使命であると悟った彼は、再びマイクの前に立つことを決意します。その後のステージで見せた『旅立ち』の歌唱は、それまでの叙情歌から「天国の恩師へ届ける祈り」へと昇華していきました。
松山千春の代名詞である驚異的なライブ歌唱力——ハンドマイクをお腹の位置まで離してもホール最後列の壁を震わせる声量と豊かなビブラート——は、恩師への想いを一音たりとも漏らさず響かせようとする執念から生まれたものでした。