告別式の当日、黒の礼服に身を包んだタモリさんは、ポケットから丁寧に折りたたまれた便箋を取り出し、視線をそこに落としながら語り始めました。テレビ中継や報道各社のカメラが厳粛な表情を捉える中、斜め後方の望遠レンズが一瞬映し出したのは、罫線すら入っていない真っ白な紙面でした。文字が一切書かれていない紙を前に、淀みなく恩人への思いを語り続ける姿は、瞬く間に全国へ衝撃を与えます。
この光景から即座に想起されたのが、歌舞伎の名作『勧進帳』でした。源義経を逃がすため、武蔵坊弁慶が白紙の巻物を広げ、あたかも本物の東大寺勧進帳が書かれているかのように朗々と読み上げて関所の番人を欺く――その気迫と機転の故事を重ね合わせ、メディアや評論家はこぞって「現代の勧進帳」と最大級の賛辞を送ったのです。
しかし、本人の胸中は歌舞伎の英雄譚のような気負いとは無縁でした。後に親しい関係者や回顧対談で明かされたタモリ 弔辞 白紙 なぜという問いへの真相は、極めて人間的かつ誠実な動機によるものでした。前夜、タモリさんはホテルで恩師への弔辞をしたためようと何度もペンを走らせました。しかし、どれほど言葉を尽くしても、世間一般のありきたりな追悼文にしかならず、「赤塚先生と自分だけの本当の関係」がこぼれ落ちてしまう違和感を拭えなかったと証言しています。
「用意された綺麗な文章を読み上げるのは、先生への裏切りになるのではないか」。そう葛藤した末に朝を迎え、白紙の便箋を胸ポケットに忍ばせて式場へ向かいました。壇上で便箋を開いたのは、公の場としての礼儀を保つ作法でありながら、視線を落とすことで雑音を遮断し、目の前の赤塚さんの遺影と1対1で対話するための「心のスクリーン」だったのです。