走れメロスはおかしい?実は歩いていた疑惑とツッコミどころを徹底解剖

走れメロスはおかしい?実は歩いていた疑惑とツッコミどころを徹底解剖

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物語の結末における描写についても、現代の読者から強烈な違和感が突きつけられている。激流を泳ぎ山賊を打ち倒す過程で衣服を失ったメロスは、最終的に一糸まとわぬ全裸の状態でシラクスの群衆の中へ突入している。

処刑台に駆け込み、親友と抱き合って和解した直後、セリヌンティウスの弟子である少女が群衆の中から進み出て、メロスに緋色のマントを手渡す。メロスはそこで初めて自らの全裸に気づき、「赤面した」という一文で物語は幕を閉じる。この唐突な幕切れに対し、SNSや書評サイトでは笑いと戸惑いが入り混じった意見が目立つ。

「シリアスな命懸けのドラマとして読んでいたのに、最後は露出狂が街中を突っ走って赤面して終わるコントのようなオチで混乱した」(30代男性・読書コミュニティ投稿)
「全裸で汗だくの成人男性2人が抱き合って涙を流している光景を間近で見せられた群衆とディオニス王の気まずさは計り知れない」(20代女性・SNS投稿)

さらに、暴君ディオニス王の急激な心境の変化もツッコミの対象となっている。物語冒頭で人間不信に陥り、実の妹や息子、忠臣たちを次々と処刑していた冷酷な独裁者が、全裸の男2人の抱擁と殴り合いを見ただけで「お前らの勝ちだ。私をも仲間に入れてくれまいか」と唐突に改心し、歓声が沸き起こる。この急転直下のハッピーエンドは、政治的リアリズムから見ればあまりに短絡的であり、民衆を虐殺してきた重罪が何の代償もなく帳消しにされている点に疑問を呈する声は絶えない。

しかし、この喜劇的な結末こそが太宰文学特有の照れ隠しであり、深刻なテーマをあえて道化のように着地させる「太宰流のアイロニー」であると捉える文芸評論家も多い。美談のまま終わらせることを潔しとしない作家の屈折した美学が、全裸オチという特異なエンディングを生み出したと言える。

橋本 菜々子
著者

橋本 菜々子

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。