小泉今日子が切り拓いたビジュアルの歴史は、1980年代のアイドルシーンに対する鮮烈な反逆から始まっています。1982年のデビュー以降、松田聖子に代表される従来の「守られるべき可憐な少女」という枠組みを自ら破壊。突如髪を刈り上げたショートカット姿で登場し、作詞家・秋元康とともに打ち出した「なんてったってアイドル」では、自己客観視を武器にしたメタ・アイドルとしての立場を確立しました。
若い頃の写真集や雑誌グラビアにおいても、彼女の姿勢は徹底していました。篠山紀信をはじめとするトップクリエイターと組んだ撮影では、鍛え上げられたしなやかな肢体を惜しみなく披露。水着やバックシャン、上半身の陰影を活かしたセミヌードに近い芸術的ポートレートに果敢に挑みました。しかし、それは決して男性目線の消費に甘んじるものではなく、「自らの身体の主権を自ら握る」というアバンギャルドな自己主張でした。
1991年に宮沢りえの写真集『Santa Fe』が累計発行部数150万部超という社会現象を巻き起こした際、芸能マスコミは「次に脱ぐ大物アイドルは誰か」と色めき立ち、その筆頭候補として小泉今日子の名が連日週刊誌の見出しを飾りました。この時期に過熱したタブロイド紙の煽り報道の残滓が、現在に至る検索キーワードの土壌を形成しています。